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オピニオン記事を読むのも書くのも大好きである。
何か発信したいとブログをはじめてみたが、ある程度記事を書いていくとすぐにネタ切れしてしまうことに気が付く。
特化ブログであれば、テーマも不変で記事数も必要数書けば出来上がるが、バリバリの雑記ブログはそうはいかない。
個人的なこと、身近なこと、日記的な要素が多く、どこのだれかわからん馬の骨の日常にそれほど興味も無いだろう。
と、切り捨ててしまうとそもそもブログの存在まで否定してしまうようで嫌だ。
YoutubeやSNSなど、どこの馬の骨かわからん奴という前提条件は同じである。
有名人、芸能人らがYoutubeに大挙として押し寄せてくる現状には馬の骨側に立つものは戦々恐々だろう。
有名人の日常から得るものって価値があるのかというと特にない。
生きてる世界が違いすぎて「ふーん」で終わる。
世間のど真ん中にいる我々のような「そこら辺の馬の骨」の本音や心の奥底にあるドロッとしたもののほうがリアリティや現実味があって個人的には大変参考になるし、タメになることが多い。
よって、個人ブログのオピニオン記事は必要と言いたい。
無くなったら楽しみが減るではないか。
多くのブロガーにオピニオン記事を書いてもらい、私の欲求を満たしてもらおうという計画でもある。
みんなオピニオン記事書いてくれ。
〘名〙 (opinion) (社会的なことに関する)意見。世論。〔外来語辞典(1914)〕 出典:コトバンク
社会的なことに関する意見した記事がオピニオン記事となる。
ブログの場合は個人の体験をもとにして書かれていることも多く、その場合はエッセイに近いと理解している。
私自身が好んでいるのはエッセイに近い。
オピニオンエッセイ記事が個人ブログとしての良さであり、必要だと思う記事に思う。
[1] 〘名〙 (essay essai)
① 文学の一ジャンル。自由な形式で書かれ、見聞、経験、感想などを気のむくままに書き記した文章。随筆。出典:コトバンク
世論への意見(オピニオン)+経験や感想を赴くままに書き記す(エッセイ)
この組み合わせが個人ブログとの親和性が高いと思っている。
まあ、一理あるけど正解もなけりゃ間違いもない。
つまり答えがないということです。
不必要であればインプットしなければよいし、必要と思うことがあれば受け入れればよい。
少なからず日々ど素人の意見に影響受けていることには気づかなくてはならない。
たまたま属している会社の上司のありがたいお言葉もど素人に意見であったり、同僚のアドバイスも不必要なものも多いだろう。
SNSのタイムラインに転がっている140文字も不必要とシャットアウトしてよいものだろうか。
ど素人の意見に、救われたり、共感できたりと知らず知らず癒されてたりしないだろうか?
私には多くのオピニオン記事、ブログサイト、140文字のツイートに鼓舞されたりしている経験から必要だと断言できる。
SEOや収益にはならないことは理解しているので、ここに心血を注いで時間をかけるべきかは価値観に左右される。
無償の愛とでも言わざるを得ないが、信頼や徳を積み上げることで社会的成功にグッと近づけるような気がするんだ。
多くの意見に頭抱えるほど悩まされるなら情報過多としてシャットアウトする必要はあるが、世の中不必要なものはないのだと受け入れてみようと思う。
最近よく聞く言葉のひとつが多様性である。
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の多様性を保つ」出典:コトバンク
余談です。コトバンクに執着しているわけではないが、何となく一貫性を示そうという浅はかな考えです。
会社員なのでビジネス的にはダイバーシティとも言われたりしてて、「なんのこっちゃ」と思うところもある。
自分と異なった部分も受け入れる異なる性質や特性を持った人や物事を理解し、受け入れることを示します
さまざまな個性や価値観を排除しないこと。
それぞれの価値観を排除しない。
個人ブログの価値を排除しない。
このような文化がこれからの時代は特に重要視されてくるとも思う。
人口減少とグローバル化していく時代では、外国人を受け入れていくこともそうだが、日本人がより海外に進出しなければならない時代に進む可能性もある。
文化・宗教・教育・言語・生活習慣などすべての価値観が異なる前提で排除などできるわけない。
日本人教育が平均を好むため、自分の意見を発する機会も教育もさほど受けていないのもオピニオンが軽視されているのかもしれない。
私の世代とZ世代と言われるこれからの未来を担う世代では価値観も変わってきていると感じるので、若い方々にはどんどん思ったことを意見できる環境がもっと整うことを願う。
私自身がオピニオン記事を好むのでバイアスがかかっていることはご容赦願いたい。
だって好きなこと書いてのびのびブログしたいのですから、肯定するに決まってる。
稼げない、駄文ばかりの雑魚ブロガーの醜態をさらしていると嘲笑されようが、事実そうなのだから。
ブログをビジネスとして収益化を望む方には、合わない価値観なのでそれはそれとしてすみ分けてほしい。
オピニオン記事は1円にもならないことが多いは事実。
この記事も数時間かけて1円も生まない。
では価値が0かと言えばそうではない。
そう思いたい。汗
価値にも2種類があり、金銭的価値と感情的価値である。
感情的価値をもつブログを作りたいと思うと、収益の出ないブログに進んでしまうが、いずれ個人の想いや意見がパンパンに積み込まれたブログが希少価値を生み、世に評価される日が訪れるかもしれない。
そういった日が来ることを願っている。
ああ、好き放題書くと気持ち良いっすわ。
では。